多真美と言う娘は、正気の間だけであれば無害で有用だ。男はそう判断した。
 勿論、茸の作用でトリップ状態になっている間は、矢張り有害かつ無能だとも。
 有害なのは、ちょいちょい幻覚茸を摂取させて来ようとするから。良い茸だからと仕切りに言っている辺り、どうも悪意はない様ではあるのだが、悪意が無いからこそ気付き難くて厄介でもある。だからこそ、世界毎の振れ幅はあれどどうやら法治国家だった事は間違いないと思しき『彼女の故郷の日本』で、こんなチビの小娘が連続殺人等と言う難行を成し得たのだろうと男は考えた。
 無能なのは、言動が支離滅裂で理性に欠けるからだ。幻覚作用と向精神作用でイカレているだけなので、根気良く観察し判断すれば、緩やかな筋位は薄っすら見える様ではあったが、端的に言ってそこまでする意味も益も無い。費用対効果が合わないと言うのが男の結論となる。
 だから、男が考える限りラリって居る状態の多真美には得るものが無い。関わる理由が無く、近づかない方が無難だ。関わり合いになるべきではない。
 だが、ローゼルク監獄に召喚される以前は裏街道を生きており、クスリのシノギにも関わっていた男は知っている。どんな酷いヤク中でも、一日中ずっとトリップしていると言う事は中々ない。と言うかそこ迄悪化している者は程なく死ぬし、少なくとも日中元気に動き回れる状態に無い。まして幻覚キノコの概ねはクスリとしては強度の弱い部類に入るのだから、当然多真美にも毎日一定以上の正気の時間がある筈だ。
 であれば、様子を伺って居れば『正気の間』だけを狙って関わる事は可能だと。そう算段を付けた男は、実際にまともな精神状態の多真美と交流を重ねる事に成功していた。
 どうしてそんな事をしたのかと言うに、先述の通り有用だからだ。
 一つは食事。花樹マガリの能力の一つである『収穫』に拠って得る事の出来る茸は、少女の頭から生えてくると言う気分的なマイナスを除けば優秀な栄養源だった。カロリーが低いのは残念ではあるが、腹には溜まるし、(少女の蘊蓄によると)体調を整える栄養素は寧ろ豊富らしい。男はこれまで栄養バランス等考えた事も無い荒れた生活を送って来た身だが、流石にクアドラの配給程の偏りと劣悪さには大幅に負ける。健康を維持する為の補助として得難い。
 そう、健康は維持しなくてはいけない。裏街道の流儀で成り上がるにはどうした所で身体が資本なのだから。
 男は囚人に身を窶しても人生を諦めてはいなかった。所属して居た反社会組織での地位は喪ってしまった。中堅のそこそこの位置とは言え、そこ迄上り詰める為重ねた長い年月と労力を思うと歯噛みする思いだが、仮に戻れたとしても空白の時間の間に己の席にはとっくに他の者が鎮座して居るだろう。だから此処で成り上がる。立場は喪えど、暴力を扱い人を操って法を擦り抜けるノウハウは喪っていないのだから。此処で同じだけの物を……いいやそれ以上の物を得る事は不可能ではない筈だと。
 だからこそ、多真美と言う娘のもう一つの有用性が出て来る。幻覚キノコの確保だ。囚人達に取っての貴重な娯楽になり得るそれは、今後自分が成り上がり地位を確保する為の強力な手札となり得るだろう。
 多真美自身から直接そう言う胞子を出す茸が生える事もあれば、生えたものを調合する事で成立する事もある様だが、それ以上にこの娘は周囲の湿地や森でその効能のある茸を採取して回っている。元々の知識に加え、初見の茸と見るや躊躇なく自分で摂取してはその特性を確認するその気狂いぶりが、その調達能力に文字通り狂気のブーストを掛けている。その内猛毒の茸に中って死にそうで若干不安ではあるが……まあ、そうなったらそうなったで勿体ないと言うだけだ。惜しくはあるが、有用性と両天秤となる危険性であれば仕方ないだろうと割り切っていた。どうせ死ぬのは自分では無いのだから。
 後はまあ、体力も腕力も無い小娘なので本当にオマケ程度のものだが、純粋に手勢としても使えるだろう。何せこの少女は、正気の間はトリップ中と反比例する様に物静かで大人しい。その上で、我欲と主張に欠ける事が素晴らしかった。収穫した茸を始め、自分で得た物を自分の物として置こうと言う意欲が余り無く、求めればアッサリと寄越してくる。適当な理屈を捏ねて手伝いを頼めば、少し考える仕草こそ見せるものの結局は従ってその通りに働く。全て言いなりと迄は言わないが、ある程度宥めすかすだけで概ね従順に従うのだ。トリップ中の自分の言動がおかしい事を自覚しているこの娘は、その上で接して来る人間に対して好意を持ちやすいのだろうと男は踏んでいた。その上で、正気の彼女と真っ当でちゃんと成立している会話と交流を重ねている自分は、彼女の中で相当に優先順位の高い存在となっている事だろう。容易いものだ、と。
 加えて男は、多真美に対して自分の職能である暴力と恐怖のカードを切って居ない。必要がなかったから。小娘一人口先でどうとでも手玉に取れると言う自信と、いざと言う時に使える伝家の宝刀を温存できていると言う事実。慢心ではなく事実として、男は正気の状態の少女を手中に収めていると認識していた。

 だが、油断はしない。掌握しているのはあくまで正気の状態の多真美であり、茸でトリップしている状態の無軌道な行動を操れるわけではないのだと。
 接している間、正気の状態を保っているかを慎重に見極め続けるのは当然で。例え今は正気だと確証を持てたとしても、その前にトリップした状態で『仕込んでいる』可能性は残る。だから、差し出された茸料理も先ずは先に君が食べなよと紳士ぶって先を譲る。本当はただの安全確認だが、毒を仕込んだかもしれない本人に毒見をさせるのは道理と言う物だ。
「あたしは、これ位で十分です。……えへへ」
 はにかむ様に笑い、手作りの歪な木皿を差し出してくるその顔は、こちらを伺う様だった。
 ふむ、と考える。
 相手の顔色を伺い見る様な態度自体は習い癖なのだろう、何時もの事だ。だが、今日の態度は何時もより嫌に艶めいて見えた。まさか、ガキの分際で色気づいたのだろうか?
 とは言え実際の所、それも算段の範囲内ではある。そもそも今日の待ち合わせを此処、先日猿のマガリガミが退治されたと言う場所にしたのも。先程、逃げ延びた個体が隠れていて得意手の投石をして来るかも知れない等と冗談めかして軽口を叩いたのも、軽い恐怖から成人男性である自分への依存心を植え付けようと言う意図があっての事だ。一足飛びに吊り橋効果で恋愛感情になったのだとしても、正直好都合でしかない。
 年頃の女と来れば夢見がちな物なのだから、懇ろになる事で依存させ離れられなくするのも手管の一つなのだ。この娘は若い年齢以上に小柄で貧相な体なので、ハッキリ言えば全く好みでは無いのだが……手駒としてより従順に役立つようになるのならごっこ遊びに付き合ってやるのも吝かではない。それに、囚人の身になって長らくご無沙汰で、欲求不満でもある。こんなチビが相手でも捌け口が無いよりはマシと言うものだ。
「……」
 警戒されない為、今まで意識して外していた胸元や腹部の露出に視線を向けて見る。少し恥じらう様な仕草をした上で、けれど特に隠そうとしたりはしない。これは、8割近く確定と判断して良さそうだ。
 それでも不用意に行動に移したりはしない。残り2割の勘違いを廃する為と、それからこの小娘が実は茸でトリップして居ないかを確認する為、先ずは冗談で済む程度の接近と接触から段階的に進めて行くべきだろう。
 驚かさぬ様に務めてゆっくりと立ち上がろうとして。

 転んだ。
 いや、崩れ落ちた。受け身すら取れず頭から地面に倒れる。湿地で柔らかい土で幸いした、いやそんな事より何が起こった? 脚に全く力が入らなかったのだ。それで転んだ、今も力が入らない。身を起そうと手を突くがそちらも力が入らない。ひょっとして全身が?
 これではまるで。
「想定より少し効きが遅かったかな。でも、この程度のズレなら十分だね」
 淡々とした声が聞こえる。
 必死に力を込めて首の向きを変え、見上げればそこに特に驚く様子も無い多真美の顔が見えた。トリップしている様には見えない、冷静な目。
 その頭に生えた茸を見て改めて気付く。
 そうだ、これはまるで痺れ毒を仕込まれたかの様だ。けれど、おかしい。だって自分は油断して居なかった。先程出された料理は先に多真美に食べさせたし、そもそもその上で自分は未だ一口も食べていない。
「……ああ、違うよ。この料理の茸じゃ無くて、朝に独房で飲んだお水。クアドラの支給のは凄く質が悪いから、煎じたの入れてちょっと味が変になっても気付かなかったでしょ?」
 変わらず淡々と、事も無げに少女はそう言った。
 痺れで朦朧とした頭を驚愕が叩く。飲み水に仕込んだ? 独房での支給の水に? そんな事が出来る筈が……
「ううん。だってあそこ、セキュリティ何て概念無いし。配給は何時も入口に無造作に置かれるから、こっそり近づいて隙間から入れる位別に不可能じゃ無いよ。それで、丁度効いてくる時間に合わせて、待ち合わせしたの」
 馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な。
 罵詈雑言を吐き散らしたいが、痺れが舌迄来たらしく呂律も回らなくて明瞭に喋る事も難しくなって来た。
「あなたの様に、自分が賢くて相手が馬鹿だと思ってるタイプの人は、警戒を一区切りズラすだけで簡単に嵌ってくれるから、楽」
 誇る風でも無く、何の感情の抑揚も感じさせない口調だった。
 でもどうして、じゃあ何故こんな事を。必死の思いで言葉にしたその疑問に、少女はああと頷いて、アッサリと答える。
「気持ち悪いから、駆除しようと思って」
 は?
 駆除?
 言っている意味が分からなくて、痺れとは無関係に言葉が途切れる。
「あ、ごめんなさい、この言い方は良く無かったね。ちゃんと伝わる様に、相手に寄り添った言い方をしないと。言い直すね。殺すの」
 少女は本当にサラリと、至極普通の事の様にそう言った。
 そんな馬鹿な。何で!? 男の混乱は最高潮だ。
「さっき言った通り、気持ち悪いからだよ?」
 それでも少女は引き続き淡々と、何でと言う疑問に率直に返答する。
 何時の間にかその手に石が握られている。丁度、先日退治されたマガリガミが凶器に使っていた位のサイズの。撲殺するには十分なサイズの石。これで、此処で、人を殺しても、仕留め漏れていた個体の仕業と言う事になる、かも知れない、と、言う事か。
 つまり、前もって調べて、前もって準備して、前もって計画していたと?
 出し抜かれた事への怒りと、それ以上に『どうして?』と言う疑問が蒸気の如く吹き上がる。気持ち悪い? 気持ち悪いってなんだ。一体どういう事だ。
「ああ、うん。そうだね。あなたは興味ある風に見せて、本当は全然興味なかったものね。分かるよ? 目線とかのブレとか鼻の穴の膨らみ加減とか、そう言うので」
 突然のその言葉が何の話か理解できなかった。
 男は実際、少女が芯の所で考えて居る事に興味が無かった。行動原理を詳しく知ろうとも思わなかった。何より、この監獄都市に召喚されるだけの罪科を犯したその理由すら、内心どうでも良いと流していた。
 考えて居たのは、どう使い、どう従わせ、どう掌握するか。対処のみで根本を見ようとしなかった。自分の理解と手法の中に嵌め込んで、そうだと決めつけているだけだった。『そんなだからお前は長い時間かけてそこそこの中堅迄しか出世出来なかったんだ』と、故郷の上役や兄貴分であればそう言っただろう。大方の呆れと僅かな憐憫を篭めて。
 一方で、男を見下ろす少女の目には一辺の呆れも憐憫も見当たらない。嫌悪や侮蔑すらも無い。それは凡そ人間に向ける目ではなかった。
「あたしにはね、そう言う取り繕った言葉や態度が気持ち悪いの」
 それでも説明をするのは、心のどこかで理解を得たいと思って居るからか。
 それとも、自分自身が『気持ち悪く』ならない為の少女なりの筋なのだろうか。
「それでも例えばね、油断させて殺そうとか、騙して性欲の捌け口にしようとか、そう言う一段階二段階程度のだったらね、平気なんだけど」
 でも、と首を傾げる仕草は変わらずいっそ稚い少女のもので。
 そこは何も変わって居ないのに。
「でも、あなたみたいに見栄とか欲望とか後の展望とか面目とか未だ未練がましく抱えてる此処に来る前の立場とかが複雑に入り組んでるのはね、駄目。気持ち悪い」
 言葉とは裏腹に、その目の表面に嫌悪感の類は見当たらない様に思えるのに。
 なのに、殺す?
 ただ気持ち悪いと言うだけで?
「うん。殺すよ? あなただって、部屋にゴキブリが出て、手に殺虫剤があったら殺すでしょ? 気持ち悪いのは、殺すの。でないと、生きていけないし」
 息が詰まったのは、痺れが喉にまで至ったからではない。盛られた毒はそこ迄強力な薬効ではない。
 だけど息が詰まった。気付いてしまったから、その目、少女が男に向けるその目は。そうだ、『これから駆除する虫に向ける目』だ。気持ち悪いけれど、気持ち悪がっていたら仕留めそこなうから、今はぐっと横に追い遣って『作業』に専念している時の目だ。
 駆除が終わった後の、不快が一つ消えた後の事を考えて居る目だ。
 まさか、こいつ。それで、それが嬉しくて、悦び艶めいた顔をしていたのか?
 恐ろしい。
 男は、今までチビの貧相なガキとしか思って居なかった少女が。初めて恐ろしく危険で有害なひとでなしなのだと理解した。
 でも、何で。今は正気の筈なのに。今も正気にしか見えないのに。
 自分は油断しなかった。ちゃんと選び取って居た筈だ。なのに、なんで、なんで。
「うーん、多分だけど、あなたも勘違いをしたんだね」
 何とか逃れようと、或いはこの恐ろしい存在から少しでも離れようと、動かない体を必死に鞭打って這いずる男の背に、少女の声が降りかかる。
「あのね。あたしの住んでたのは"礼和"の日本だよ。“他の”日本と多少は違いがあるみたいだけど、ちゃんとした法治国家でね、治安も良いし、中学生の女の子が日常的に茸でトリップしてられるような環境じゃないの」
 背中に重みを感じた。
 鈍った感覚でも、跨られたのだと分かる。そうして首の根を片手で掴み抑え込まれる。
 もう一方の手はどうしているのだろう。最後に見た時、その手に握られていたのは……
「あたしが良い茸を使う様になったのはね。此処に来てからだよ。それで、考え過ぎないでいられる間は、あなたみたいな人も気持ち悪く無いの」
 だからね。
「人を殺したのは正気のあたし。沢山の人を殺し回ったのはね」
 このあたしだよ?
 必死に足掻こうとしても、小柄な少女一人振り払えない。
 それだけでは致死ではなくとも、動きを封じ無抵抗に出来る程度の毒。そんなものを他の囚人に盛ったなんて、看守長に知られたら。いや、そもそも他の囚人を殺したりなんかしたら。
 必死の理屈。命乞い。
「良いね。それはとても良いね。違反行為をして、隠し切れずに露見して、その罰を受ける。とてもシンプルで、綺麗な挙動」
 なのに返って来たのは嬉し気な声。
 死にたく何か無いけれど、気持ち悪いのはもっと嫌だし。気持ち悪い物を廃して死なずに居れるならそれが一番良いけれど、気持ち悪さの一切ない事は、ちょっとだけ死の恐怖から意識を逸らす程度には魅力的な、蠱惑の、悦び。
 なんて事だろうか。こいつは。こいつにこそは、関わるべきで無かったのだ。

「あは」

 少女殺人鬼は艶やかに笑った。